「ククール、デートしよう。」
「……はぁ!?」
始まりは、突拍子も無いエイトの言葉だった。
いつもの様に勤務中(予想通り、仕事の最中だった)に押し掛け、いつもの様に机の上に積まれた書類の山を無視して相手に近づき、「天気が良いから何処かに遊びに行こうぜ」と、いつもの様に場の雰囲気を全く読まずに誘いかけてみようと思ったのだ。
「何を言ってるんだ阿呆」
とか、
「仕事中だ。帰れ阿呆」
とか。
とにかく承諾されることは無いだろう誘いを、毎度毎度飽きもせず持ちかけていたので、いつか堪忍袋の緒が切れるんじゃないかと少し心配していたところではあった。
だから、その日のエイトの反応には酷く驚かされたのだった。
「どうせ暇なんだろ? さ、行くぞ。」
そう言って、きょとんとしているククールの手を引くなり、エイトがスタスタと歩き出す。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待てよエイト!」
どもってしまったのが情けない。
相手の強引さに半ばつんのめりつつ声を掛ければ、エイトは足を止めずに応じる。
「何だよ。」
「何だ、って……お前、仕事は?」
「あるけど。」
いやいやいやいや。
「そんなんで、俺とデートって? 正気か、お前。」
「狂気に見えるか?」
「いや……」
見えない。――どころか、至っていつも通りのエイトだ。
だから余計に、今回のこの行動に驚いているわけで。
「それって、つまりはサボり――」
「ははっ! サボタージュなんてもんじゃない。」
「え?」
「放棄だ。」
「いや、……えっ!?」
この青年は真面目だ。
時々「馬鹿」が付くほどの生真面目で仕事中毒めいたところもあるが、基本的に己の任務に実直な兵士だ。
それが今――何を口走った?
「仕事放棄ってお前……それはマズいだろ、おい。」
「うーん。まあ、マズいかなー。」
「……。兵士長が、良いのかよ?」
「兵士長だけど、良く無いな。」
「……いちいちマネすんな! 真面目に心配してんだぞ俺は!」
「あはははは。真面目に心配されてるな、俺は。」
「~~エイトっ!」
「はいはい。」
ククールが珍しく真面目に心配しているのに、相手は何を言っても、ふざけて受け流してくる。
これは一体なんだというのか。
腕を引かれ――いつの間にか手を繋がれたまま、そうしてククールはエイトと共に、城を後にした。
◇
二人は、トロデーンの道を海沿いに、トラペッタとは逆の方向に向かっていた。
ククールの少し前を、エイトが歩いている。
後ろからでも分かる、そのスマートな歩行。
リズムを刻むように、ゆっくりと。
けれど、無駄に揺らめくことはなく、スピードは流れる風のように緩やかでつい目を惹かれてしまう。
いちいちが、サマになる。
意外に洗練された男。
もしかしたら、自分が彼に勝っているのは顔だけじゃないだろうかとククールは思うことがある。
他に勝っているのは……身長くらいか?
「いーい天気だなー。」
「ん? あ、ああ。」
エイトの言葉に、ククールは考え事から脱却した。
そして何気なく上を仰ぎ見て、空の透き通るような青さに今更ながら気づかされる。
その視線を、今度は前に戻せば見えるのは海岸沿いからの真っ直ぐな地平線。
この地域は相変わらず景色が美しすぎる。
森と山に囲まれた茨の城は、呪いから解放されて以降、ますます透明度を増した様な気がした。
「この辺って、ただの田舎だとばかり思ってたぜ。」
「普通に失礼な発言を吐くな、阿呆。」
「あー……っと。待て待て、これから褒めるつもりだったんだよ。」
「おう。一応聞いてやろう。」
「何でそんなに偉そうなんだよ……ま、いい。――昔の俺はそう感じてた、ってことだ。」
「若気の至りってやつか。」
「お前、俺より年下じゃねえか。」
「気にするな。……で?」
「え?」
エイトがそこで足を止めて、振り返った。
ひゅう、と風が吹く。
周囲に植わっている防風林の緑を含んでいる為か、そう潮臭くは無く、爽やかな匂いがした。
「今はどうなんだ、ククール。」
エイトの前髪がふわりと風に巻かれ、双眸が露になった。
久し振りに見る、深い黒瞳。長い睫。兵士のくせに整った中世的な顔立ちなどは反則だし、浮かべる微笑については改心の一撃。
しかも何を隠そう、この青年は竜人の女性と人間の男性の間に生まれたハーフで、止めにその男性は王家の者であった。
つまり、竜人と王家の人間の血が混じったとんでもない血統持ちなのである。
そんな彼――エイトと、修道院育ちで「不良」のレッテルが貼られた自分とは、果たして釣り合っているのだろうかと不安になることもある。
けれど、目の前の相手は真っ直ぐにククールを見つめている。
答えを待っているのだ。
待っている。
ククールを。
返す答えを。
「俺、さ……誰かさんと逢ってから世界が好きになったんだよな。」
「……へぇ。その、奇特な”誰かさん”ってのは、誰だ?」
とぼけた振りをして、エイトが質問する。
その目は笑っている。穏やかな笑みが口元に刻まれている。
それらは全て、自分のもの。
「さて、誰だと思う? ……当ててみろよ、エイト。」
「ん~~? 難しいなあ。ヒントは?」
よく言うぜ。
――いいだろう。
お前のその嘘、乗ってやる。
「ヒントその一。馬鹿が付くほどのお人好し。」
「……ビックリするぐらいヒントじゃないぞ、それ。むしろ喧嘩を売っているのか?」
「そうか? じゃあ、ヒントその二。馬鹿が付くほど生真面目で、時々仕事馬鹿。」
「……お前、ヒントの意味、分かってるか?」
エイトが眉を顰め、腰に下げている剣に手を掛ける……振りをする。
まだ口元に笑みが残っているところを見る限りでは、この状況を愉しんでいるようだった。
それがまた、ククールは嬉しい。
「仕方ねぇなあ。じゃ、騎士道精神溢れるこのククール様が、特別に大ヒントをくれてやるよ。」
「大ヒント~? 何だよ、言ってみろ。」
「ああ。それはな――」
言うなり前に大きく一歩踏み込んで距離を詰めると、エイトの腕を引き寄せて告げる。
「ヒントその三――いま、俺を独占してる贅沢者。」
「この――阿呆。」
視線が絡み、顔が近づく。
そして――答え合わせのように、キスをした。
最初から奇妙で、嘘と冗談ばかりの会話を交わした今日この日。
それでも。
最後のキスは、嘘じゃない。