■いいにいさん!
ドコが? 何が?
となるような内容ではありますが、これにてマイエラ兄弟主の小話は終了です。
長々とお付き合い下さり有難うございました。
連載中の拍手や感想、本当に嬉しかったです。重ねて感謝を!(返信は必ず後ほど!
あと、blogのマル主小話などへの拍手も有難うございます。
数値を可視化していないので気づくのが遅れました、すみません。
内部観測だと上位10個までしか表示されないので、上書きされていくわけでして……。
感想などがありましたら、ぜひとも送って頂けると調子に乗ります。
以下、小話続きです。
まだ夜も明けきらぬ時間に、それはゆっくりと目を開けた。
己を中心に挟むようにして今なお眠っている兄弟二人に気取られぬよう、静かに体を起こす。そして実に見事なしなやかさでベッドから抜け出ると、足音なく、物音ひとつ立てずに部屋を後にした。
サイドテーブルの上にあった紙束と共に。
辿り着いた先はテラス。そこに置かれた肘掛け付きの長椅子に腰を下ろし、エイトは一息つく。
視線を横へ向ければ、近くに靄めいた湯気を立ち上らせている石壁が一つ。昨日、ククールやマルチェロと共に入った露天風呂がこの壁を隔てた向こうにある。
冷めることのない天然温泉。エイトは、よくもまあこの水脈を見つけたものだと感心し、それから感謝する。特にこの時期の長風呂が好きなので。
(これを片付けたら入っておこうかな。)
そんな事を考えつつ手にした書類をめくり、湯の流れる音を聞きながら中断されていた作業を一つ一つ確認していく。
その顔は勤務外だというのに、兵士長のものでいて。
――この仕事馬鹿め。
にゃー、と怒る猫の声を聞いた気がした。
(……うん。抜けた箇所も間違いもなし、と。……やっぱりマルチェロの仕事は完璧だな。)
トントンと膝の上で書類を揃えると、それを水気のないところ――室内側のテラス出入り口にある小テーブルに置いた。
それから長椅子のある場所まで戻ってくると、区切りとしてある石壁の方を見やり、次に空を見上げて考える。
空の向こうから朝焼けが近づいてきてはいるが、まだ少し遠い。
室内の二人はまだ眠っているだろう。
ならば――これは自分へのご褒美だ。
エイトは誰にともなく頷くと、チュニックに手を掛けて朝風呂を堪能することにした。
◆
「ん……、あれ……――いない?」
妙な寒さを感じ、ククールは目が覚めた。毛布はしかし、肩口まできっちり掛かっている。
いや、包まれているというべきか。ここには居ない誰かの仕業。
欠伸をして眠気を振り払ったククールが先ず目にしたのは、先に起きていたマルチェロ。
体を起こし、こめかみに手を当てて何かを見ていたのでその視線を追いかけてみれば――。
「……書類、無くなってるな。」
「ああ。……全く、あのお人好しめ。」
唸るような声で呟くなりマルチェロがベッドから下りたので、ククールはその背に声を掛ける。
「おい、どこへ」
「恐らくは外だ。来るなら来い。」
「外って……ああ、テラスの方か。」
ククールは髪をさっと整えていつものように後ろで一纏めにすると、ウンザリ顔のマルチェロに苦笑しつつ共に部屋から出て行った。
ぱしゃり、と。
テラスの向こうから、水音がした。
ぱしゃり。
湯をかき混ぜているのか、一定の間隔ではない。湧き出る温泉の音に混じる人為的なそれは、正に人がいる証拠であった。
「朝風呂か。……あいつって長風呂派なんだよな。人に見られるのを嫌っているみたいだから、意外なんだけど。」
「そうか? 俺はそうは思わなかったがな。……アレは、人の目が――己を縛るものが無ければ自由に動く。そういう存在だ。」
「……俺はエイトを縛ってなんかねえよ。」
「別に、お前に向けて言ったものではない。阿呆な勘違いは止めろ。」
皮肉めいた声で、それでもむくれる弟の背中を叩いてマルチェロはテラスに続くドアを開ける。
「そら。行くぞ。」
ドアの前で立ち止まったマルチェロが振り返り、声を掛ける。
ククールは短く呻いていたものの、「確かにこれは俺の勝手な被害妄想だな」と反省して、兄の後を追いかけた。
彼はもう自分を置き去りにはしない。
だから――彼の女神も置いて行ったりはしない。
◆
湯けむりの向こう。
揺れる人影を見つけて、先ずは安堵する。
エイトは昨日と同じ場所に居て、同じ姿勢で天を見上げていた。
六角形の浴槽の縁に頭を乗せ、目を閉じているので眠っているのかと思ったが――。
ぎしり、と。
テラスの軋んだ音を聞いた瞬間に目を開けると、視線だけを向けてきた。
無言で見つめ合うこと、しばし。
湯の流れる音が静寂を横切る。
ややあって、エイトが口を開いた。
「……起きたのか。」
言葉を紡いだ声は、どこか柔らかい。それは湯に浸かっている為か、それとも、うとうとと微睡んでいた為か。ともかく、氷の気配はない――気分を害している様子はないようだったので、ククールは遠慮なく近づくことにした。
「朝から優雅なことだな、女神サマ。起きたらいなかったんで、探したんだぜ。」
浴槽の傍らに片膝ついた格好から声を掛ければ、エイトが上体を起こしてククールを見上げる。
「迷惑を――」
「――かけてない。『被害妄想』はするな。」
先程マルチェロに言われたものをちゃっかり流用して、エイトの頭をこつりと叩いた。
それを彼の背後で見ていたマルチェロが、両腕を組んで失笑する。
――年上ぶりたいのか、年下ぶりたいのか。忙しい奴だな。
しかし敢えて言葉には出さず、エイトに視線を移して会話に入る。
「先ずは礼を言っておこう。残務処理、ご苦労。――だが、一人で片付けるな。せめて俺が起きてからにしろ。」
「そう、か……勝手な真似をして、すまな――」
「――謝罪など求めておらん。それよりも、いつから此処にいる?」
「……星のある、早朝に。丁度、目が覚めた故。」
ちゃぷりと湯を掬い、指の間から流す。
「ここは、いつでも温かい、から。」
独り言のような声音でそう語るエイトの表情はやはり柔らかく、薄く微笑が浮かんでいる。
髪から肌を伝って流れてきた水滴が、伏せ目がちにしている長い睫毛に溜まって落ちた。
ぽたり、と。
瞬きと共に、湯船に消えたそれは小さな波紋を生んで小さく消えた。
白い肌を包む湯気が、絶妙な雰囲気を醸し出している。
そして、水面越しとはいえ何にも包まれていない裸体が惜しげもなく曝されているというのに、当のエイトは平然と湯を掬う手遊びをしている始末。
ちゃぷり、ちゃぷりと。
途切れた言葉の代わりに、水音だけが彼らの間に流れる。
エイトは急に静かになった彼らを不思議そうに見上げていたが、やがて何を思ったのか片手を差し出して言った。
「――共に。」
開戦の火蓋を切る――といえば大仰だが、端的な物言いは彼らを硬直から解放するには充分な効果があった。
その誘いの意図を解く間もなく真っ先に動いたのは、忠実で素直な銀色の獣。
勢いよく緋色の寝間着を脱ぎ捨てると、差し出された手を掴んで飛び込んだ。
「――あっつ!」
外気温との体温差を埋めずに行動した獣に与えられたのは、小さな罰。熱い、熱いと湯を掻き混ぜて騒ぐククールを横目に、エイトがもう一人の方を見て手を差し出した。
無言で、少し首を傾げ――眼差しにて、誘いかける。
『お前も傍に来い。』
言葉なく魅了する存在を、マルチェロは他に知らない。
たじろぎ、眉を寄せて逡巡したものの、やがては肩を竦めて観念した。
脱ぎ散らかされた緋色を拾い上げると、長椅子の方へ歩いて行って自らも包みを解く。
こうも簡単に警戒すらも解かれてしまっては、抗う術などありはしない。――だろう?
衣服を置いて振り向いたマルチェロは、早速エイトにじゃれついている大型の獣を――だらしなく笑っている弟を見て思わず零れたは微苦笑。
揶揄も無く、皮肉も持たず、ただただ可笑しく感じたが故の純粋な感情からの。
いつもこうだ。
そうなるように仕向け、その通りに誘われる。
単純な兄弟だと思っているだろうか。思われているだろうか。
浴槽に近づき、先ずははしゃぎすぎているククールの頭に叱責の拳を落として静かにさせる。
両手でそこを押えて睨み付けてくる弟に兄は冷笑を返し、体を慣らしてから湯に浸かってエイトの隣に腰を下ろした。
すればエイトを挟んだ向こうから非難の声が聞こえ――「狡いぞマルチェロ!」――声の主もエイトの隣に並び直し、その肩に凭れかかる。ふふん、と得意げな顔をして。
――兄として振る舞うんじゃなかったのか、お前は。
先程の、年上ぶった態度はどこへやら。マルチェロは、やはりこうはなるまいと自戒しつつも隣で少し傾きぎみでいるエイトとの距離を詰めて、さりげなく支える。――という言い訳をして密着する。
片や、年上然として。片や、年下ぶって。
その間に女神はぎゅうと挟まれて、流れる時間を緩やかに過ごす。
知らず誘い。誘いあげ。
誘いかけては落とし込むその手管は常に鮮やかで、今日も今日とて狂わせる。
その様は冷たい月に似て冷酷で、容赦ないさまは正に無慈悲な女神が如く。
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