真夜中に目が覚めた。
見知らぬ――わけでもない天井が目に入り、自分がどこにいるのかを理解する。
マイエラ修道院の郊外にある邸宅、その寝室だ。
しばらくの間、ぼんやりと天井を見つめる。
真夜中の青。暗い室内。次第に目が慣れてくると、室内の様子が見えてくる。
もっとも、視覚よりも先に触覚で状況が判明しているわけだが。
(温かい……けど、……暑い。)
視線を上に固定したまま、エイトは静かに息を吐く。
(……寝返りを打ちたいけど、どうしようかなー。)
迂闊に顔を、体を動かせない。何故なら、それぞれの方を向くと、とんでもないことになるからだ。
――まずは右。こちらの肩を引き寄せるようにして、横向きに眠るは騎士団団長殿。
肩口まである艶のある黒髪と、鷹の目を思わせる鋭い双眸を持つ男。
しかし、今は眠っている為か近寄りがたい厳格な雰囲気は消えており、また眉間に気難しい皺も無いので、何の問題も無くその端正な顔立ちを眺めることが出来る。
けれども、拳ひとつ分の間があるかどうか、という距離にその顔があるので、下手に動くとそのまま腕の中に抱き込まれてしまいかねない状況だ。……こちらの肩を軽く掴むようにしているのが、良い証拠でもある。
――そして、左。こちらに対しては、もう説明するまでもない。
子供が甘えるというよりも、どちらかといえば身を摺り寄せて甘える猫のように、こちらの腰に腕を巻き付けて眠るは騎士団副団長殿。
銀色の長い髪を今は解いており、それがシーツに広がる様はまるで綺麗な絹糸模様。その上、彼自身の顔立ちもまた美しく整っている為、眠りに落ちている中にあっても感嘆するものがある。
しかしながら、拳ひとつ……どころか、距離の空白がない状態でいる中においては、動く以前の問題だった。腕どころかその長い足も絡んできているので、身を傾けたが最後、完全に抱き込まれかねない。
ともかく、この兄弟は何というか――意外と「甘えたさん」なのだなあ、とエイトは思う。
そもそも、いつからこうなったのだったか。
(あれは確か……暗黒神を倒して、一年くらい経った頃だっけ?)
ふと、思い出の一端を振り返る。
◇ ◇ ◇
この邸宅が建てられた際に招待を受けたので(嬉しい!)、新築祝い的なものを持ってココへやって来たのが始まりだった。
最適な贈り物が良く分からなかったが――なにせ、「友人」の家に招待されるというのは初めてのことだったので(嬉しい!!)――それでも、歓待してもらったので(良かった!)、問題はなかったのだろう。
そして、ちょっとした料理を食べ、少々の酒を嗜み――じゃあ、お邪魔しましたと帰る段になってそれは起こった。
雨。
大雨。
それも土砂降りの。
あの時は正直、呪われているんじゃないかと思った。
綺麗な月が掛かっていたので、月見がてら良い気分で帰ろうと心中ではしゃいでいた気分があっという間に真っ逆さまに落ちたが、その時に彼らが邸に泊まっていくことを提案してきたので、すぐに気分は上昇した。
風呂に入り、着替えを貸してもらい、そうして用意された部屋は――何故か彼らと一緒だった。
一緒。一部屋。大きな寝台も、ひとつ。
確か、初めに邸を案内された際にゲストルーム的なものを見た気がするのだが、はて、あれは幻だったのだろうか。
それとも、「歓待された」というのはこちらの都合のいい妄想で、勝手に宅内をうろつかれたくないから見張りと監視も兼ねて、こういう状態に置かれたのだろうか。
実は嫌われていた!?
社交辞令だったのを本気にした!?
などと自分の非常識さを恥じて部屋の入り口前で佇んでいれば、その肩をポンと叩かれた。
「さっき談笑して、結構楽しかっただろ? まだお前とは色々話をしたいと思ってな。」
そう言ってククールが笑いかけてきたので、安堵し――そうになったが、本当にそうだろうか?
一度抱いた疑心暗鬼はなかなか消えない。……過去の経験上、こういうものは、なかなか消えてくれないのだ。いやむしろこれも、遠回しの警戒だったりするのかもしれない。
その場から動けない。そんなこちらの躊躇いが伝わったのか、今度はマルチェロが近づいて来て、溜息と共に言った。
「不埒な行動はとらせん。だから、安心しろ。」
「おい、何気に俺だけを悪者にするんじゃねえよ。」
「なんだ。その通りだろう。」
「よく言うぜ。その涼しい面の下は、どうなってんだかな。」
「ハッ。緑の目をした怪物の戯言か?」
「……。」
何だかよく分からないが、痴話げんかめいたやりとりをするマルチェロとククールからは、こちらを危険視するような雰囲気は窺えなかったので――どうやら、自分の勘違いのようだった。
一先ず内心の修羅場が片付いたので、改めて用意された部屋に足を踏み入れることにした。
だが、その時の俺はすっかり忘れていた。
談笑の続き云々はともかくとして、なぜ大の男三人が一つのベッドを共有するのか、という謎を。
◇ ◇ ◇
(……あれ以来、ココに泊まる時は、なし崩し的にこうなったんだっけ。)
結局、同衾する意味を教えてもらっていない。
自分としては、別に問題はない。いや――問題がないでもなかったか。
(暑い、から……少し、熱を冷まそう。)
両隣の睡眠を邪魔せぬよう気をつけつつ、静かに寝台を抜け出す。その際に、彼らが揃って眉根を顰めるのが見えたので、子供の頃に見た「おまじない」をしておいた。
彼らの額に、それぞれ軽くキスをひとつ。確かこれは魔除けにもなった筈だ。実際、眉間の皺が消えたので己の行為は正しかったのだろう。
目が慣れた故に見える薄闇の室内の中を滑り、向かった先は窓側のバルコニー。慎重に窓を開け、その隙間からそっと外へ躍り出た。
◇ ◇ ◇
「……おい。何だったんだ、アレは。」
「……俺に訊くなよ。俺だって驚いたっての。」
「トロデーンの風習か?」
「いや、旅の間はそういうのは特に無かっ……あ。」
「……。その様子だと、何かあったな?」
「ない、こともないが……あいつのアレは、もしかすると別の風習かもしれない。」
「どこのだ。」
「悪い、ちょっと見当がつかねえ。」
「……そろそろまた素性を探る頃合いか。」
「素性、ねえ……意外に、本当に女神様かもよ?」
「……。」
「……。否定してくれよ、そこは。」
◇ ◇ ◇
暗き青の夜空が示すのは、深夜。まだまだ明けには遠い時刻帯。
手摺に寄りかかり、月を見上げる。
深い濃紺の中で仄白い光を纏って浮かんでいる今宵のそれは、きゅうっと弧を描いた見事な三日月だった。
夜の中に身を沈めて、月を見るのは好きだ。
静かで、何も音が聞こえないから。
静寂であるが故に、何も気にしないで済むから。
他の人間が怖かった。その視線が、思考が、何を考えているか分からなかった。――解らなくなった。
正気でいられたのは、トロデーンの陛下と姫、それといつも一緒にいてくれたトーポのお蔭だ。
それでもどうにもならなくなった時は、夢遊病よろしく夜の散歩に出掛けることで精神を落ち着かせていた。いつの間にかそれも、今では単なる趣味になってしまったが。
(……冷たくて気持ちいい。)
寒いのは苦手だった。
けれども、最近は妙に暑くなることがあるから、こうした月光浴も癖になりつつあった。
(……、……温かすぎると……困る、というか……なんだろう、な。)
自分でも、この感情だか気分だかが、どうにも上手く纏められない。けれども、放っておくと落ち着かなくなるので、とりあえず「冷やす」ことで現状の解決策とした。
この深夜徘徊の再発のせいか、相棒であったトーポ兼祖父であるグルーノが「竜神族の里への移住」を勧めてきたのは記憶に新しい。
しかしながら、特に疚しいことは無いし、精神的に問題があるわけでもない(と思う)ので、彼の親切には深い感謝と共に辞退させてもらった。
それに、里へ移住するということは兵士を辞めることになるのではないだろうか。(天地の行き来はさすがに負荷が過ぎる。)
天上で暮らすということは、今までに築いて来た地上での対人関係をゼロにしないといけないのではないだろうか。(竜神族の里の掟を考えると、緩和は難しそうだ。)
(……竜神王様に頼み込んで――いや、駄目だ。確か、祖父殿に……)
「お前は一人で竜神王に会わぬほうが良い。」と、グルーノに釘を刺されたことがある。
恐らく、こちらがしでかすであろう不作法や無礼を考えての事だろう。
……というのがエイトの予想だが、実のところは違う。
なにせ彼はウィニアの面影もある上に、その美貌を無自覚無防備に振りまいているものだから、竜神王が理性やらなんやらを抑え込む為に狂乱するせいだ。
神の前での「極上の据え膳」であるが故に、迂闊な接触を禁じられているのが本当の所であり、一齧りどころか、色々な意味でそれこそ丸呑みされるかもしれない運命を予想した祖父による、孫に対する自衛手段が真実なのは秘密である。
(……それに……今の人間関係が消えてしまうのは、少し……嫌、かもしれない。)
怖かったこともある。煩わしいとすら感じた頃もある。
そんな過去も、もはや遠い。
――友人が出来た。
ときどき、誘ってもらって。
都合が合えば、家に呼んでもらって。
そして枕を並べて、隣で一緒に眠る。
どれもこれも、子供の頃に絵本で見た憧れの光景だ。そうしている自分の姿を思い描いたりもしたけれど、……子供のうちに、それが叶うことは無かった。誰も彼もに遠巻きにされていたので。
ちなみに、ミーティアとはどうだったかというと、結果としては「論外」である。(いやいや、子供とはいえ、流石に男女同衾は俺の道徳的に駄目だからね!?)
そんなこんなの悲しい幼少時代ではあるが、まさか数年後に願いが叶うとは。
(一緒に、夜更しして、おしゃべりとか……良いよなあ、友達って。)
両腕を組んでテラスに凭れかかり、そうして触れた柵のひんやりした感覚に目を閉じる。
(マルチェロも、ククールも……俺みたいなのを相手にしてくれるから、良い人たちだよなあ。)
ヤンガスやゼシカといった旅をしていた頃の仲間たちも、良い友人として今でも付き合いがあるのだが、なかでもこの兄弟たちの誘いが、恐らくは一番多い方だと思う。
もしやこれが「親友」というものだろうか。
(……だったらいいなあ。)
そこで目を開けると、凭れていた柵から上体を起こして伸びをする。
体が強張っていたせいもあってか、見っとも無いくらいに大きな欠伸が出掛かったので慌てて噛み殺しつつ、思いきり筋を伸ばした。
目尻に浮かんだ涙を指先で拭っていると、ふと妙な熱っぽさが消えていることに気づく。これまでのことを考えて整理したせいか、随分とすっきりした気分だ。
それもこれも、趣味となった月光浴のお蔭だろう。
やはり、こうした自省行為は必要なのだ。
◇ ◇ ◇
カーテンの隙間から。
「……、なんで、あいつ、泣いて――っ」
「落ち着け。悲観しているのではなく、何かに思いを馳せているだけかもしれんだろう。」
「思いを、って……何にだよ。――誰にだよ?」
「……落ち着け、と言っている。雰囲気で分かるだろう。先程までにあった、悲愴めいたものが消えている。」
「そんな細かいことなんか分かるか。でも、まあ……確かに、陰鬱とした感じではないな。」
「だろう? お前はいちいち大袈裟に取りすぎる。」
「ウルサイ。仕方ないだろ、気になるんだから。」
「フン。惚れた弱味か。それでは忙しいだろうに。」
「人のこと言える立場かよ。お前も素直になってみたらどうだ、マルチェロ。楽になるぜ?」
「……馬鹿げたことを。結構だ。」
◇ ◇ ◇
(今度、祖父殿にそう説明しよう。そうすれば、彼の人の心痛も無くなる! かもしれない!)
三日月を見上げ、その儚い光を前に自然と零れるのは決意の吐息。
明日から頑張ろうと軽く拳を握り、そろそろ部屋に戻るかと踵を返したそこで――。
どことなく沈痛の表情をしたマイエラ兄弟と丁度目が合った俺はどうすれば良いのでしょうか、神様女神様竜神王様。
何かを誤解されている気がするのですが俺にはさっぱり見当もつきません!
考えに考えた俺の取った行動はというと。
そろり、そろそろと近づいて。
無言で彼らの前を通り過ぎ。
そして静かに、何事も無かったような振る舞いでベッドに戻りました!
そんな二人はというと、奇妙な間を置いてから部屋の中に戻って来た。右と左に分かれて再び俺の隣に並んできたものの、質問したそうな雰囲気を醸し出していたので見ない振りを決め込んで狸寝入りしました!
大丈夫、俺は正気です!
あと起こしてしまったようでゴメンナサイ!
心の中で土下座しながら、俺は急いで眠りに落ちる為に高速で羊を数え始める。
早すぎて羊がバターになってしまったが、いつの間にか気絶する勢いでぐっすり眠り込んでしまった。
◇ ◇ ◇
女神様が眠りについた後の、宵闇の中で。
「……何も話してくれなかったな。」
「だから、いちいち大袈裟にとるなと言っている。……話すまでも無い、些細なことだったんだろう。」
「でもよ……こんな真夜中にベッドから抜け出して外にいてさ、ひとりきりで泣いてたんだぜ?」
「……他愛ない過去で、思い出し笑いしてただけかもな。」
「……笑う、か。……だと、いいんだけどな。」
ククールは眉を寄せると、再びエイトに擦り寄る。その左手を握って。
「心配性というか、過保護というか。」
そう言いながらマルチェロも横になると、それでも同じようにエイトの右手を軽く握る。
「うーわ。マネっこ。マネマネだ。」
「喧しい、阿呆。」
◇ ◇ ◇
――そんなことがあった翌日。
目が覚めたら、美形兄弟に観察される格好で両端から見つめられていたので、多分なにかしらの天罰が落ちたのかもしれないとエイトは思った。
ああ、でも、マイエラ兄弟とのお泊りは楽しかったです!