■桜の季節!
……の筈なのに、なぜ冬に逆戻りしかけているんですかと問いたい。
それはさておき、マル主版の主人公編です。
普段は冷静な兄様も、実は無意識下では嫉妬していました的な前回。
当然ながら、キスをされた方もしっかりきっちり冷静ではいなかったわけで。
以下、マル主小話です。
少しでも楽しんで頂けたら嬉しい限り。
どうにも気分が落ち着かない。
人気のないところに行ってこの気持ちをやり過ごそうと考えたエイトは、黙々と廊下を歩いていた。
時刻は真夜中。
単独での外出には不向きの時間。玄関にはしっかりと閂が下りている。
これでは静かにこっそり外へ出ることは――実は、不可能ではない。
トロデーンは大国。そして自分は兵士長。隠密行動には慣れているし、むしろこの家には少人数(三人!)しかいないので、難しいことでは全くない。
なので、以前はちょくちょく夜間に出掛けていたのだが、そのうちに二人に勘づかれることになる。
説教を食らったのは、だいたい十回目辺りだっただろうか。
ククール、曰く。
「俺が纏わりつきすぎたのが不快だったのか? 気をつけるから、一人で出て行くのは止めてくれ……頼む」
マルチェロ、曰く。
「お前の強さは知っているが、特に用がない限りは夜間に外に出るのは止めろ。……眠っている間にお前に何かあったとしたら、一生を悔やむどころではない」
自分としては、ふらりと外へ出てちょっとした散歩をするのは大したことではないと思っていた。現に、トロデーンにいた時もそうしていたのだから。
だから年上の男二人にそれぞれ手を握られ、悲壮感いっぱいの表情で懇願されるとは思いもよらず。
初めて出来た大切な親友たちを傷つけながら夜の散歩をするなんて、出来やしない。
そんなこんなで、今は自粛している。
暖かい季節になったらまた再開しよう、と思っているのは秘密ではあるが。
(……今日は月が良く見えるなあ)
春先ではあるが、冬の名残があるのか少し肌寒い。
けれど今の自分には丁度良い。青い薄闇広がる夜のリビングで、エイトは一人静かに寛いでいた。
窓際に置かれたソファに座って何も考えずに月を眺めようとするのだが、どうにもこうにも上手くいかない。
邪魔をするのは、ちらちらと脳裏を過ぎる断片。先程までいたベッドで起きたこと。
ククールとの、キス。
(なんか俺の知ってる「お休みのキス」と違う……!)
挨拶の仕方や方言があるように、地方による代物なのだろうか。
エイトはこれまでに様々な本を読み耽ってきたが――悲しいかな、独りの時間が多かったので――それでも、あのキスの答えが見つからない。
(おまじないって、ククールは言った。ちゃんと言ってた! ……よな?)
いかんせん、衝撃が大きすぎて記憶が曖昧になっている。
いやむしろこのままぼやけていってほしい。落ち着かなくて、困るから。
(こういう時は瞑想が一番――……駄目だー! 目を閉じるとなんか思い出しちゃうー!)
表向きは、無表情に努めて。けれど心の中では盛大に眉を下げて情けなくジタバタしていた時だった。
背後に人の気配。
思わず腰の辺りに手を伸ばしかけて――苦笑する。
そこに剣は帯びていない。それに、これは敵ではない。
マルチェロだ、と振り向こうとした矢先に、その気配主から声が掛けられた。
「……そんなところで花見か、エイト」
振り返れば、顰め面をしたマルチェロが歩いて来る姿が見えた。
(あれ、何か機嫌が悪そう? というか、悪い?)
こっそり夜更しをしているから咎められるのだろうか。取りあえず、向けられた質問に対しては「マルチェロもか」と返しておいた。
それは自分の行動を曖昧にするためであり、あわよくばマルチェロを巻き込む為のもの。
共犯となれば夜更し行為も叱られないだろう、と考えて。
(マルチェロのお説教は苦手なんだよなー……)
うう、と心の中で嘆くエイト。
しかしこれには理由がある。
怖いから、嫌だからといった負の感情ではなく、その理由は――。
――声が良すぎて眠くなるから。
(ククールもそうなんだけど、この兄弟は顔も声も良いから困るんだよなあ……)
美形で、美声で、優秀なマイエラの兄弟。正直、近距離で長々と語られると眠くなる時があるので、勘弁してほしいと思っている。
そんなマルチェロと、視線が交差する。
下りる沈黙の帳。
ドキドキドキ。
手に汗握るエイトに、マルチェロの言葉が返される――「そうだな、そうしてもいい」。
(共犯者ー! お説教なしー!)
バンザーイ、と。氷の美貌をした青年が内心で子供のように喜んだことなど、相手は知る由も無い
わーい共犯者ー。マルチェロも夜更しー。などとはしゃいでいたエイトは、側に来たマルチェロが何かを手にしていることに気づく。
(地方限定の極少ワインだーーー!)
わあわあわあ。わあわあわあ。
グラスを受けとったエイトは、夜更しの共犯者であるマルチェロのその行動に歓喜の声を上げた。
マルチェロの心の中で、舞い踊りすらしそうな勢いで。勿論、表には全く出ていないのだが。
(おいしい……ほんのりと甘くて、香りもよくて……さくらの匂いが、ほんのりする……)
いつしかマルチェロに凭れるようにして、エイトはワインを飲んでいた。
気づけば肩を抱かれて引き寄せられていたのだが、なんだかうやむやになったというか、うやむやにされたというか。
けれども、嫌悪感は無かったので距離はそのままにしていた。
……そのままにするべきではなかった、と後悔するのはそれからすぐのこと。
(あー……流石にワインは回りやすいなあー……)
ふわふわ、ふにゃふにゃ。一本を二人で分けたとはいえ、ナッツやチーズといった肴も無しに酒を飲んだのもあってエイトは軽く酔いかけていた。
酒は強い方なのだが、好みの環境と雰囲気――静かな夜と、親友と、希少な酒――も相乗したのか、実に良い気分だった。(顔には全く出ていないが。)
(はー……これなら、ベッドに戻った途端に寝落ちできるかもー……)
マルチェロも、一緒に部屋に戻って――と言いかけた言葉は、相手のグラスに残るワインを見たことで止まる。
花見をするつもりになった、と言っていたので急かすのは悪いだろう。
そう考えたエイトは気を利かせて、ひとりでひっそり戻ろうと腰を上げた――その腕を、しかし掴まれて。
「行くな」
引き止められて。
「まだ行くな」
マルチェロがグラスを一息に呷り――その様が格好良くて、つい見惚れてしまったのが悪かった。
あっ、と思った時には何だか手遅れだった。状況が。自分が。
甘い液体と共に、自分のものではない舌が滑り込んできた。
それは生き物のように蠢いて口内を探り――探り当てたものに絡みつく。艶めかしい水音を立てて。
(ちょっ、なっ、えっ!?)
マルチェロのグラスに残るロゼを見つめていたのを、欲しがっているとでも思われたのだろうか。
だとすると、このキスはロゼを分けようとして。いや、だったらグラスを渡してくれればいいだけなのでは。そうなると、これはどういった理由からのキスに。ああ、なんかふわふわして眠気が。
ぐるぐると悩んでいる内に、口の中のロゼがすっかり無くなっていることに気づく。
分け合う行為はここまでだ――と。
閃いたわけではないが、そこでどうにかエイトはマルチェロの肩を押し返すことに成功する。ぎりぎりの理性と、なけなしの勇気も手伝ってくれたようだった。
(あっぶな……そのまま眠りそうになった……)
眠気も酒気も、すっかり冷めていた。
ふとマルチェロを見れば、何だか落ち込んでいる。
独り言のように艶のある声が零れ、聞こえたのは謝罪の言葉。
推測するに、マルチェロもまた少し酔ってしまっていたようで、昂りすぎた衝動を止められなかった――らしい。「殴ってくれ」などと言い出したところを見る限りでは、己の失態を深く嘆いているようだった。
そんなマルチェロを、エイトは首を捻って見つめる。
(ええっと……これはもしかすると、おやすみのキスをしようとしたけど、なんだか失敗しちゃった感じ?)
そう言えば、自分は何も言わずに立ち去ろうとしていた。それに対してマルチェロはいつものように「おやすみのキス」で見送ろうとして……ちょっと、間違えた?
そうであるならば、エイトがするのはマルチェロを殴ることではなく――。
(あいさつは大事!)
よし!と意気込んだエイトはマルチェロを見下ろすと、相手が顔を上げたのを見計らって――キスを返した。瞼に、頬に、ちょんと口付けて、そして告げるのは締めくくる挨拶と御礼の言葉。
ワインありがとー! 俺は先に寝るからー! おやすみー!
そう心の中で叫んで(ついでに手を振って)、エイトはリビングを後にした。
けれど。
けれども。
部屋に戻った途端にエイトは二人とのキスとその感触を唐突に思い出してしまい、なかなかベッドの上に戻ることが出来なかったりしたのを当の兄弟は知らないわけで。
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