■季節の気温がおかしい
少し前までは金木犀の良い香りがしていて幸福度が高かったんですが、最近の気温に対する乱降下にぐったり。いつの間にか金木犀の時期が終わっていたのも切ない。
突発書き散らし続き。
以下よりどうぞ。
ドニの村の酒場は、いつも悪酔い手前の客がいるせいか賑やかで騒々しかった。
片隅にあるテーブル席ではカードを使った客同士の賭博も行われていたりして、かなり自由がある。そこそこ無法地帯。
ここは村の酒場。静かに酒を楽しみたいなら、町まで行くしかない。いいや、行くべきなのだ。混沌とした雰囲気だけで充分に悪酔いできるのだから、客層もあまり上品ではない。
それが安酒場の定め。
だから、その日もそうなる筈だった。
賑やかで、騒々しく、落ち着けはしないが緩やかな心地がある酒場の一日になる筈だった。
――その人物が足を踏み入れた瞬間、音が消える。
静まり返る酒場。
入口に集まる視線。
だが新顔らしいその青年は己に留められた視線など意にも介さず、真っ直ぐカウンターに歩いてくると空席の前で足を止めて店主を見た。
「構わないか。」
短い言葉。予約席かどうかを訊ねているらしい。
店主はグラスを拭いていた手を止めて、青年を頭からつま先までさっと見下ろす。
来る場所をお間違えでは?――思わず問い掛けた言葉を飲み込み、店主は頷く。
「はい。どうぞ、お好きな場所に。」
――こりゃあ、とんでもないやつがきたもんだ。
自分の声は震えてはいなかっただろうか。
いやいや、グラスを持つ手が震えている。
一瞬ばかり精霊か何かと見間違えた。男にしては白い肌は陶器のように滑らかで、その瞳は闇色の艶やかな黒。歩く度に、髪が柔らかに揺れていた。思わず触れたくなるほどに。
近くで見て、更にぞっとした。その美貌の鮮やかさに。
男娼かとも思ったが、すぐにそれは誤りだと気づいた。歩いてきた身のこなし、席に座ったその姿勢は清流を思わせるように無駄が無く、隙が無く、そして不思議な美しさがあった。
貴族だろうか? そうなると、やはり彼は来る場所を間違えている。
同じことを思ったのか、酒場にいる客たちはカウンター席に座る青年と、その店主とのやりとりとこっそりと、けれどもしっかりとした興味でもって眺めている。
割って入って来ないのは、青年が持つ氷じみた冷ややかな気配の為だろう。
恐怖に近い感情が、いつの間にか青年の美貌に魅了されている。
誰も彼もがそうして自らの行動を止めていた中、入口のドアを開けて二人の男が入ってきた。
一人が周囲をきょろきょろと見回し、一人がカウンター席に視線を留めて指をさす。
「あっ。先に来てたんですね、兵士長!」
酒場の空気が、ぎょっとしたように固まる。
カウンター席の青年が上体ごと振り返り――頷く。
「ああ。遅かったな。」
低音ながらも静かな声は静寂を震わせ、そして店主と客の硬直を解いた。
「ま、待ち合わせでしたか。」と店主が訊けば、青年が「そうだ」と応じる。
それから店主を見上げて――「告げていた方が良かったか。」
「いえっ! そんなことは! どうぞ、ごゆっくり!」
「……ああ。」
赤い顔をして首を振る店主に、青年があるかなきかの微笑を浮かべた。
それで強張っていた雰囲気が幾らか崩れ、酒場に少しずつざわめきが戻ってくるのだった。
そんな酒場の片隅。
身を潜めるようにして静かに酒を飲む男が二人。
彼らは氷の雰囲気にも静寂にも飲まれてはおらず、ただそれぞれに酒を飲んでいた。
銀の髪の男が小声で呟く。
「はっ。あの程度で気圧されるとか、ここの奴らも大したことないな。」
すれば対面に座っていた黒髪の男が溜息を吐く。
「お前は何と張り合っているんだ、阿呆。」
皿の上のチーズを一齧りし、青年の――エイトの両脇に図々しく座った男たちを見て、眉を顰める。
「……馴れ馴れしい奴らだな。あいつに気安く触れていいのは俺たちだけだ。」
「アンタも張り合ってんじゃねえかよ。」
ここはドニの酒場。
夜はまだ始まったばかり。
[0回]
PR